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倫理を倫理するノート

フランスの哲学者E・レヴィナスの思想研究~他者へと開くために~

肉体を持つとはどういうことか―孤独と肉体の関係

こんにちは。

今日は肉体について考えたいと思います。

基底となるテクストはE・レヴィナスの『時間と他なるもの』です。

(書誌情報は末尾に)


1.はじめに


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肉体とは一般的に、

私たちの精神が現実に宿るところの物質として理解されます。

肉体は魂の神殿として、私たちを現実につなぎとめます。


しかしたとえば、仕事や勉強で疲れたとき、

あるいは手にちょっとした火傷を負ったとき、

肉体はうんざりするほど押しつけがましく現れてきます。


ここで問題としたいのは、この現象的な側面です。


具体的にはそれは、存在論という哲学の一分野で語ることができます。


では、それは存在論的に解すると、どうなるのでしょうか。

私たちが肉体を持つとはどういうことなのでしょうか


ここで提示したいのは、孤独と肉体を結びつけるレヴィナスの考え方です。

一見、つながりの見えない孤独と肉体にどのような関係があるのか。


2.質料性について


まずは以下に、これから読解してゆくレヴィナスの言葉を引用します。


霊のように、風の息吹のように私は実存するのではないし、私は責任なしに実存するのでもない。私の存在は所有物によって二重化される。私は私自身によってはちきれんばかりになる。このことなのだ、質料的実存とは。要するに、質料性は、霊ないし精神が偶々、肉体という墓もしくは牢獄に転落したことを表しているのではないのだ。それは―必然的に―主体の出来に後続するもので、実存者としての主体の自由のなかに存している。質料性―<自我>と<自己>との関係という具体的な出来事―にもとづいて肉体をこのように理解すること、それは肉体を存在論的な出来事へと連れ戻すことだ。
[合田正人編訳(1999)『レヴィナス・コレクション』、筑摩書房、p.252、強調引用者]


この引用におけるキーワードは「質料性(matérialité)」です。


質料という語はもともと、アリストテレスに由来します。


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アリストテレスによれば、質料は物事を構成する四原因の一つです。

家が建つという現象にたとえれば、建築資材がそれにあたります。

つまり、素材や物質のようなものを指すことになります。


人間にたとえれば、まさに肉が質料ということになります

肉体であるがゆえに、「霊のように、風の息吹のように私は実存するのではない」のです。


しかし、ここで問題とするのは「質料」です。

つまり、質料がどのような特性を持つか、

私たちが肉体を持つとはどういうことかを問題としています。


引用文中には、

質料性は実存者としての主体の自由のなかに存している」とあります

これはどういうことか。


3.実存者と実存との区別


「実存者(existant)」という語に焦点を当てます。


実存者とは、言葉が難しいですが、

ここでさしあたり意味しているのは

単純に、「あると呼ばれるもの」です。

コップもあると呼ばれますし、木もあると呼ばれます。

もっと言えば、私もあなたもあると呼ばれます。


一方で、「実存(exister)」という語があります。

この語はさしあたり、「あるという事実」を意味します。


ここで着目するのは実存者」と「実存」との区別です。

つまり、「あると呼ばれるもの」と「あるという事実」との区別です。

それはどのように為されるのでしょうか。


それは、名前があるかどうかです。

「実存者」すなわち「あると呼ばれるもの」にはみんな、名前があります。

コップにも木にも、あなたにも私にも、名前があります。



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しかし、あなたや私が「あるという事実」には名前をつけることができません。

つまり、あなたや私がいるという事実そのものは、名付けようがなく、

いわば私たちが存在している事実は匿名ということになります。

この点はレヴィナスの思想の核を為す一つです。


しかし、私たちには名前があるというのに、

存在するという事実に名前がない、はどういうことか。

ここの理解が難しいのは、レヴィナスが存在論という特殊な考え方をしているからです。


4.ハイデガーの存在論


存在論を現代で強く主張した人に、

ドイツの哲学者でハイデガー(1889-1976)がいます。


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彼はレヴィナスの師匠にあたる人で、

レヴィナスは彼の思想を批判的に継承しています。


ハイデガーの哲学的な功績の一つに、

「存在(Sein)」と「存在者(Seiendes)」を区別する

というものがあります。


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たとえば「リンゴがある」という文においては、

「リンゴ」が存在者に、「ある」が存在にあたります。


「リンゴ」は名前を持つことができます。

しかし、「ある」は名前を持つことができません。

それはむしろ、一個の事実を言い表しています。


ハイデガーはこのように、存在者と存在を区別することで、

存在を問うという大胆な試みを打ち立てました。


5.ある(il y a)ことの恐怖


レヴィナスはこのハイデガーの考えを批判的に継承しています。


「リンゴがある」という文において、

ハイデガーの考えに従えば、「リンゴ」と「ある」は区別されます。

そこでレヴィナスは、特に「ある」が動詞であることを強調します。


しかも「ある」は名付けようがなく、

名詞のようにしっかりと固定されたものではありません。

私が「ある」ということが、固定されていないというのは不安です。

つまり、「ある」という事実そのものは、名前を欠いていたら恐怖なのです。


この恐怖をレヴィナスは、そのまま「ある(il y a)」と名付けました。


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「il y a(イリヤ)」というフランス語は、英語の「There is」にあたり、

主語が非人称となり、文としては「何かがあること」を意味します。

非人称とは、名前がないということです。


以下に、「ある(il y a)」について、レヴィナスの言葉を引用します。


実存者なきこの実存することに、われわれはいかにして接近しようとするのだろうか。諸存在も人々も、万物が無に帰した様を想像してみよう。その場合、われわれは純粋な無と出会うことになるのだろうか。万物のこのような想像的破壊の後に残るのは、何ものかではなく、ある(il y a)という事実である。万物の不在が、一個の現存のように回帰する。すべてが失われたその場所のように、大気の密度のように、空虚の充溢のように、沈黙の呟きのように回帰するのだ。諸事物と諸存在のこの破壊の後には、実存することという非人称的な「力の場」がある。主体でも、実詞的でもない何かが。もはや何もないときに、実存するという事実は課せられる。それは匿名である。誰も、何もこの実存を引き受けることはない。「雨が降る」(il pleut)や「暑い」(il fait chaud)のように非人称的なのだ。実存することをいかに否定して遠ざけようとも、実存することは回帰する。純粋な実存することの不可避性のごときものがあるのだ。
[合田正人編訳(1999)『レヴィナス・コレクション』、筑摩書房、pp.240-241、強調引用者]


ここで注意すべきは、

「われわれは純粋な無と出会うことになるの」ではなく、

「ある(il y a)という事実」に出会う、というところです。


「諸存在も人々も、万物が無に帰した様」は、

「純粋な無」ではなく、「万物の不在」となります。


無と不在は同じようで別のものです。

無は文字通り、「ない」、「非存在」という意味ですが、

不在は「あるべきところにない」「もうそこにいない」という意味です。

つまり不在は、場所にないのです。


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それなのに「ある(il y a)という事実」が残る。

この取り残されるような感覚を、恐怖として言い表すことができます。


また、私が持っているペンやリンゴは、誰かと交換できますが、

この「ある(il y a)という事実」は、誰かと交換できるものではありません。

なぜなら、私はつねに私であらざるをえないからです。

ゆえに私は、存在するということにおいて孤立しています。

そこには、行き来できる窓も扉もないのです。


6.これまでの論点の整理


さて、これまでの話を整理します。


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今日の話のテーマは、

私たちが肉体を持つとはどういうことか、というものでした。


そこで孤独と肉体を結びつけるレヴィナスの考えに狙いを定めました。


キーワードは「質料性」というものでした。


その際、質料性が実存者としての主体の自由のなかに存している」という文を

理解しようと努めてきました。


読み解くにあたって、

「実存者」と「実存」との区別が問題となります。

つまり、「あると呼ばれるもの」と「あるという事実」との区別が問題となります。


それは具体的に、名前があるかどうかで区別されます。


そして「あるという事実」は名前を欠いているため、恐怖でした。


しかも「あるという事実」は誰とも交換することができず、孤立しています。


7.名前を持つということ


そこでもう一度、

質料性が実存者としての主体の自由のなかに存している」という文に

帰りましょう。


「実存者」については理解が深まりましたが、

「主体の自由」という語がまだよくわかりません。

「主体の自由」とは何を指すのか。


ここで言われている自由は、

「好きなようにできる」という意味での自由ではありません。

それは、名前を持つことのできる最初の自由です。

つまり、「ある(il y a)」という事実の恐怖から脱するための自由なのです。


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しかしなぜ、名前を持つことが最初の自由と言い表されるのか。

それは、名前を持つことで、あるという事実を自分のものにできるからです。

つまり、私は名前を持つことで、

自分が存在するという事実を所有できるようになります。


これをレヴィナスは「基体化(hypostase)」と呼びます。

この語は「実詞化」とも訳され、意味は「名前を持つこと」となります。


8.孤独と肉体


よって私たちは、名前を持つことでついに、

「単にあるだけ」という恐怖から逃れることができます。

しかしそれと同時に私たちは、

いつもこの「あるという事実」に気を配っていなければならなくなります


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たとえば、仕事や勉強で疲れたとき、

私たちは疲れから逃れたいと思いますが、簡単にはいきません。

あるいは、手にちょっとした火傷を負ったとき、

私たちは痛みから逃れたいと思いますが、簡単にはいきません。

つまり、疲れや痛みにおいて、私たちは「あるという事実」に直面し、

気を配らざるをえないことになります


この配慮こそが、肉体を存在論的に理解したものとなります。

つまり、肉体は存在論的に「実存者の実存への配慮」と解釈することができます。


しかも私は、この疲れや痛みを誰かと交換することができません。

その意味で、私の「あるという事実」は孤立しています。

その孤立した事実を、名前を持つことのできる私は、配慮しつつ独占しています。

この孤立を独占することこそが、孤独なのです。


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決して、周りに人がいないことや、

友だちがいないことが孤独なのではありません。

私たちは存在することにおいて、根本的に孤独なのです

しかしそれは、絶望や遺棄といった悲劇的な性格を帯びるばかりではなく、

「孤高の天才」といった意味合いも帯びてきます。


9.まとめと次回予告


まとめると、

私たちが肉体を持つとは、名前を持つことのできる私たちが、たえず、

自分の存在する事実に気を配っていなければならないということであり、

それによって私たちは孤独であらざるをえない

ということになります。


実はこの考えは、時間の解釈へとつながってゆきます。

レヴィナスは孤独と質料性を現在として捉え、

それを起点に独自の時間論を展開してゆきます。


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しかもその時間は、過去-現在-未来と直線的に流れる時間ではなく、

他者へと開かれた時間として解釈されます。

つまり、孤独を乗り越える時間へと、レヴィナスは導こうとするのです。


その詳細はまた、次の記事で紹介したいと思います。


10.参考文献など


参考にした文献は以下になります(Amazonへのリンク)。

・合田正人編訳(1999)『レヴィナス・コレクション』、筑摩書房、特にpp.231-299

・E・レヴィナス(原田佳彦訳)(2012)『時間と他者』、法政大学出版局


意見や感想、質問、ご指摘などお待ちしております。

自身の勉強のためにも、質問にもできるかぎりきちんと答えたいと思います。

レヴィナスとは誰か

 こんにちは。今日はまずはじめに、
ユダヤ人の思想家レヴィナスがどのような人なのかを、
紹介したいと思います。

1.レヴィナスとは


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エマニュエル・レヴィナスは、フランスの哲学者である。
彼はロシア領リトアニアのユダヤ人家庭に生まれた。
18歳でフランスに渡り哲学を学び、
その後、ドイツのフライブルク大学でハイデガーに師事する。
第二次世界大戦では、ドイツ軍の捕虜となり、
親族のほとんどがユダヤ人収容所で虐殺された。
戦後はフランスの大学教授を歴任し、
ユダヤ教の経典であるタルムードの研究をつづけた。
[田中正人(2015)『哲学用語図鑑』、プレジデント社、p.234より、文末のみ一部改変]


2.思想の特徴


彼の哲学の魅力は、一言でいえば、
「他者へと開かれた思想」という点にあります。

彼はこれまでの西洋哲学に準拠しつつ、
独自の歩みで他者の大切さを説き、
やがて西洋哲学全体の批判へと移行してゆきます。

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したがって彼の思想は、
暴力や責任、自由、コミュニケーションといった問題と深く関わっており、
彼の思想を研究することは、
とてもアクチュアルな意義を持っています。

3.「顔」の思想


彼の思想のモチーフとして、有名なのは「顔(visage)」です。

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私たちは他者と関わり生きていますが、
他者は予測不可能なものとして、いつも私たちの思考を溢れ出ています。
そんな他者の表出するところが「顔」と呼ばれます。
私たちは他者の「顔」を通じて、他者がなにを考え、感じているかを知ります。

かし「顔」はそのような役割を持つだけではありません。
「顔」は相手がまさに他者であることを告げます。

たとえば、あなたが怒って殴ろうとするとき、
相手の「顔」は歪み、抵抗を露わにします。
その抵抗において、相手は自らが他者であること、
すなわちあなたの権能を行使しえないものであることを告げます。

そこから「汝殺すなかれ」という倫理が生まれます。

4.おわりに


ざっくりとした説明ですが、
レヴィナスの思想にとって「顔」は重要なモチーフになります。
他にも
「実詞化(hypostase)」、
「ある(il y a)」、
「無限の責任」、
「倫理としての形而上学」といった、
様々なモチーフがあります。

このブログでは、そんな彼の思想を、紹介していきたいと思います。
よろしくお願いします。