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意識は主観であると同時に客観である

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意識=主観ではない。


単純に隣の人と向き合うとき、
あなたの意識は同時に客観である。

しかし意識=主観と言われるかぎり、
意識は主観の殻に閉じこもってしまう。

主観は意識という場所を開くか閉じるかしかできない。
場所を尋ねたり去ることができない。

だから主観は場所を広げてゆくか狭めてゆくかしかない。
しかしそうすれば、場所はいずれ枯渇し、せめぎ合い、取り合いになる。
経済の始まりである。

客観的”存在”に重きを置くかぎり、
認識はつねに冒険である。

その認識は科学と呼ばれる。

科学は構造を有する。
科学は認識を広げようと冒険する。

しかし認識を訪問することはない。

科学は隣の人に「気分はどう?」と尋ねることなく、
脳の分泌物質を計測する。

それによって隣の人の不安をわかった気になる。

一言尋ねて、場合によっては去る。
その方が何倍もその人の不安がわかる。

しかし意識は主観のままであるかぎり、
ひたすら認識の領野を広げてゆこうとする。

その人の寂しさを隅々まで理解した気になり、
場合によってはそれを取り去ろうと薬を投与する。

一言尋ねて、場合によっては去る。
どちらがその人の不安を紛らわしてくれるだろうか。

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意識=客観ではない。

単純につねに肉を伴うかぎり、
あなたの意識は同時に主観である。

しかし意識=客観と言われるかぎり、
意識は客観の殻に閉じこもってしまう。

客観は意識という場所を尋ねるか去るかしかできない。
場所を開いたり閉じたりすることはできない。

だから客観は場所をつなげてゆくか断ってゆくしかできない。
そうすれば場所は、窮屈なままで、せめぎ合い、取り合いになる。
経済の始まりである。

主観的”存在”に重きを置くかぎり、
会話はつねに冒険である。

その会話は独り言と呼ばれる。

独り言は連鎖を有する。
独り言はつなげようと冒険する。

しかし会話を広げることはない。

独り言はその場を共有することなく、
尋ねつづける。

それによって隣の人の不安をわかった気になる。

心を開いて、場合によっては閉じる。
その方が何倍もその人の不安を受け止められる。

しかし意識は客観にとどまるかぎり、
ひたすら会話の領野をつなげてゆこうとする。

その人の不安を隅々までわかった気になり、
場合によってはそれを取り去ろうと命令するようになる。

心を開いて、場合によっては閉じる。
どちらがその人の不安を紛らわしてくれるだろうか。
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