第三倫理研究所

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『存在と時間』をドイツ語でNo.1-5

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<冒頭:SZ 1>

1.
>>Denn offenbar seid ihr doch schon lange mit dem vertraut, was ihr eigentlich meint, wenn ihr den Ausdruck 'seiend' gebraucht, wir jedoch glauben es einst zwar zu verstehen, jetzt aber sind wir in Verlegenheit gekommen<<.

訳)
「というのもきみたちは、やはりすでにずっと、『’存在する’』という言葉を用いるとき、そもそも何を意味しているかをよく知っているのは明らかだからだ。けれども私たちは、たしかにそれをかつて理解していると思っていたが、今や途方に暮れているのである」

注) 
・ハイデガーはプラトン『ソフィスト』244a.の引用によって『存在と時間』の冒頭を飾る。
・辻村は「Verlegenheit」を「窮地に陥り途方にくれている」と訳す。「Verlegenheit」は「めんどうな状況」あるいは「当惑」という意味だが、彼は両方のニュアンスを持たせて訳している。

考)
・ここで強調が置かれているのは、おそらく「存在する」という言葉に「途方に暮れる(Verlegenheit)」という事態だろう。哲学ではしばしば、「驚き(thaumasein)」が哲学をはじめる契機に位置づけられる(cf. プラトン『テアイテトス』155d, アリストテレス『形而上学』982b)。もしかしたら、ここでの途方に暮れる事態は、その哲学をはじめる契機を表しているのかもしれない。ただし、プラトンの『ソフィスト』における文脈は要確認。さしあたりその見通しで、続きを読んでみよう。


2.
Haben wir heute eine Antwort auf die Frage nach dem, was wir mit dem Wort >>seiend<< eigentlich meinen? Keineswegs. Und so gilt es denn, die Frage nach dem Sinn von Sein erneut zu stellen.

訳)
「存在する」という語で私たちはそもそも何を意味しているのだろうか。それについての問いに、私たちは今日、ひとつの答えを有しているだろうか。否、決してない。だからこそ、”存在の意味への問い”を新しく立てることが必要である。

注)
・「存在の意味への問い(die Frage nach dem Sinn von Sein)」における「への(nach)」には方向を表す「~へ向かって」という意味がある。だから「存在の意味”についての”問い」のように問われるものが主題化されてあらかじめ思考の圏内に入り込む形と混同しないように気をつけたい。
・辻村は「Sein」を「存在」ではなく「有」と訳す。「有」には「所有する」というニュアンスもある。『存在と時間』に通底する極めて重要な語に対して、あえて西洋哲学における伝統的な訳語を採用しない点は注意すべき。なぜだろう。


3.
Sind wir heute auch nur in der Verlegenheit, den Ausdruck >>Sein<< nicht zu verstehen? Keineswegs. Und so gilt es denn vordem, allererst wieder ein Verständnis für den Sinn dieser Frage zu wecken.

訳)
私たちはまた、今日、せめて「存在」という言葉を理解していないことに途方にくれるだけでもしているだろうか。否、決してない。だからこそとりわけ、まずもってこの問いの意味に対する了解を再び目覚めさせることが必要である。

注)
・「了解(Verständnis)」は「理解(Verstehen)」と区別される。ここでどこまで強調すべきかは問題ありだが、ハイデガーにおける「了解(Verständnis)」は、現存在が存在を「ただちにあるとわかる」という意味で、探求を導く重要な語「存在了解(Seinsverständnis)」に用いられている。一方で「理解(Verstehen)」は現存在の開示性の一契機として用いられている。

考)
・接頭辞の「ver...」には「~し損なう」というニュアンスがある。その意味で「途方に暮れる(Verlegenheit)」は「legen」が「置く」であることから「(身を)置き損なう性格」と読めるかもしれない。ただその場合、「了解(Verständnis)」や「理解(Verstehen)」はどうなるのだろう。
・「理解(Verstehen)」は動詞が名詞化したものだろう。一方で「了解(Verständnis)」における「...nis」には「行為の結果生じる事物」という意味があるが、これは「理解(Verstehen)」の結果なのだろうか。少なくとも両者に関係があることは間違いない。


4.
Die konkrete Ausarbeitung der Frage nach dem Sinn von >>Sein<< ist die Absicht der folgenden Abhandlung. Die Interpretation der Zeit als des möglichen Horizontes eines jeden Seinsverständnisses überhaupt ist ihr vorläufiges Ziel.

訳)
「”存在”」の意味への問いを具体的に仕上げることが以下の論稿の意図である。”時間”の解釈が、あらゆる存在了解一般の可能な地平として、その暫定的な目標となる。

注)
・細谷はその注釈において、「解釈(Interpretation)」とほぼ同義として用いられている「解意(Auslegung)」を場合によっては訳しわける必要があると指摘している。前者は学術的・理論的な解釈を指し、後者は非主題的・日常的な解釈を指す。
・細谷の注釈より、地平とは「なにかがしかじかのものとして理解できるようになる場面、視圏」を意味する。ちなみにこれはフッサール現象学でも用いられている。

考)
・ここで、時間が存在了解の地平として位置づけられている。本書が『存在と時間』という表題を掲げる所以である。ハイデガーによれば、表題における「と」には格別な意味があるらしい。
・以下、自分の解釈。「と(und)」は異なる両項を同一のコンテクストの上に乗せて、その脈絡を示唆できるという意味で格別の助詞なのではないだろうか。異なる語である「存在」と「時間」をつなぎ合わせる役割を「と」は果たしている。
・さらに私見。存在は「~である、~がある」と言われるが、時間は「もう~ない、まだ~ない」と言われる。この意味での「ある」と「ない」の対比は表面的なものだろうか。ここに断絶を見るか、深い関係性を見るか。私はここから存在と時間とはまったく種を異にする概念ではなく、かなり深いところで結びついているとみる。だからこそ、存在の問いを仕上げる解釈の主題に時間が上がるのだろう。


5.
Das Absehen auf ein solches Ziel, die in solchem Vorhaben beschlossenen und von ihm geforderten Untersuchungen und der Weg zu diesem Ziel bedürufen einer einleitenden Erläuterung.

訳)
そういった目標へと見通すこと、そういった企てのうちに含まれ、その企てから要求される諸研究、およびこの目標への道のりは導入的な説明を必要とする。
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Published on: Tue,  10 2017 11:15
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